2008.04.18

アムステルダム再訪

Amsterdamcentralstation

写真は丸の内南口方面から見た東京駅です......?

なんてわけはなくて、アムステルダムに来ています。

東京駅はアムステルダム中央駅を真似て作られた、とどこかで聞いたことがあるのですが、よくよく較べてみると、違いますね。Wikipediaによると

かつて、アムステルダム中央駅は明治の初めに東京駅を作る際のモデルになったという俗説があったが、根拠はなく、1988年以降藤森照信らを始めとする西洋建築研究者により、設計者の系譜、建築様式の両面から、現在ではほぼ否定されている(デザインがまったく異なり、見比べれば一目瞭然である。)。
だそうです。へぇ。

アムステルダムを初めて訪れたのは、前回の選抜に落ちた2000年。ESA/ESTECを案内してくれた人に聞いたところによると、ESAでは宇宙飛行士選抜の際には過去の受験生に「また受験してね」と声をかけるとのことだけど、ほんとかなぁ。

そのESAもまた、NASAのASCAN募集にあわせてヨーロッパの宇宙飛行士を募集するとのことです。

ESA: ESA to recruit new European astronauts

詳細の発表は5月19日とのこと。ヨーロッパ国籍をお持ちの方、いかがですか?

Amsterdamnight


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2008.04.05

幕末古写真

Imamuraの日記経由:

幕末古写真ジェネレーター

確かにこりゃなかなか味があって面白いですね。

のぐっちゃん胴上げの写真を古写真にしてみました。

Sangoku2k

オリジナルはこちら

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2008.04.01

ふぉくすけぬいぐるみが国際宇宙親善大使に

宇宙空航研究開発機構では、ふぉくすけぬいぐるみを「国際宇宙親善大使」として正式に採用する見込みであることが、1日までに明らかになった。山崎直子宇宙飛行士がふぉくすけぬいぐるみをマツド市長に直接手渡すなど、国際宇宙ステーション登場宇宙飛行士として採用された3名がそれぞれ記者会見を開き、明らかにした。ふぉくすけのつぶらな瞳と、オープンソースプロジェクトに対する偏りの無い姿勢が国際共同プロジェクトに最適であるとして評価された。

空航機構では今後、NASAのきびしい安全基準などをクリアすることを確認の上で、国際宇宙ステーションに登場する日程をNASA、ロシア宇宙局、ESAなどと調整していく予定。

Sumino2ss
マツド市長にふぉくすけぬいぐるみを手渡す山崎宇宙飛行士
Credit: JaXa

Sumino1ss
マツド郵便局では訪れた市民にふぉくすけが配られた
Credit: JaXa

Hoshides
記者会見する星出宇宙飛行士
Credit: JaXa

Furukawass
ふぉくすけぬいぐるみに目を細める古川宇宙飛行士
Credit: JaXa

なお、このニュースのソースは不明です ;p

Happy April Fool!

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2008.02.11

「大鳥居」と飛行場跡

産経ニュースのサイトで「旧海軍の土浦海軍航空隊内にあった『土浦航空隊神社』の大鳥居が、戦後62年以上の時を経て発見された」という記事を見かけたので、見に行ってみた。

産経ニュース:「大鳥居」62年ぶり発見 元予科練生直感ぴたり

土浦航空隊神社は昭和16年5月、土浦海軍航空隊内を流れる精進川(現・花室川)の北側に建立された。予科練制度が5年に発足して以来、殉職者の英霊が奉られ、厳しい訓練にいそしむ予科練習生らは毎月15日、全員で整列し、同神社に参拝する習わしだった。
常磐道谷田部インターから車で5分ほど。

Kashima

「こんなところに神社があったのか」と思うほど目立たない場所にひっそりと建っていた。

Kashima2

鳥居の根元には「昭和十七年七月建之」の文字が。真珠湾攻撃から8ヶ月後、ミッドウェーの敗戦から1ヶ月後。

Kashima3

記事では「大鳥居」とあるけれど、ごく普通の大きさ。社もこじんまりとしている。境内にひっそりと子供向けの遊具が設置されている。

「そういえばこの近くにたしか飛行場があったな」と思って、「谷田部飛行場」でぐぐってみると、こんな記事が。

常磐道谷田部インターから常陸方面へ2kmほど進むと常磐道をまたぐ形で「飛行場橋」という陸橋がかかっている。

Yatabe2

上記のブログの後日談によると、この陸橋のすぐ近くにある谷田部神社は、かつて谷田部飛行場内にあったものを戦後移設したものという。

Yatabe

農業環境技術研究所や農業工学研究所などが立ち並ぶ広大な敷地というのがじつは東京を爆撃するB29を迎撃するための戦闘機の基地の跡、だったんですね。

Yatabe3

そう言われてみれば、つくば界隈の卓越風の吹く方向に1.8kmほどの直線の広大な土地が広がっている。Wikipediaによると、終戦の4ヶ月前、第七二一海軍航空隊に編入され、ロケット特攻機「桜花」の訓練が行われたという。「戦闘機隊の技量低下も著しく、戦闘機隊も爆装のうえで特攻攻撃に投入された。」とのこと。

統帥権干犯を隠れ蓑に、日本を戦争へと導いた当時の軍の首脳部と軍国主義を許すことはできないけれど、命をかけて国を守るために戦う以外の道が残されていなかった若い兵士たちのことは忘れたくはないと思う。黙祷。

「そういえば某所に展開しているパトリオットってどうなっているんだろう」と、Google Mapでバンカーの場所をチェックしてみると、トレーラーとおぼわしき車影が確認できる。いいのか>自衛隊?

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2008.01.24

ラグランジュポイントでお会いしましょう!

Hi350085_2
久しぶりに長沼センセイを囲んで、リユニオン。合い言葉は「ラグランジュポイントで会いましょう!」

いや確かにいろんなやつらが集まっていそうですわセンセ。

知人の一人が今南極に行ってると聞いて、喫驚。

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2008.01.19

Hit the road Jack!

管理人が人生の中で初めてラジオ番組と出逢ったのは、自分で作ったゲルマラジオから流れてきた音声だった。たしか小学校5年生の頃。誠文堂新光社から今も出版されている雑誌「子供の科学」に、円形のタッパウェアを利用したゲルマラジオの作り方が載っていた。それを見て、ポリバリコンやゲルマニウムダイオード、クリスタルイヤフォンを雑誌の広告に載っていた通販会社から買い求め、エナメル線をタッパウェアに丁寧に巻いて、父親のハンダゴテを借りて、部品をハンダ付けした。イヤフォンから初めて近くの放送局の音声が聞こえてきたときの感動は今でも忘れることができない。アンテナ線を部屋の中に張り巡らせて、日がな一日、ラジオ放送に聞き入っていた。このページの「やさしい丸型ゲルマ・ラジオ」にまさしくその時作ったものと同形のゲルマラジオが載っている。ここでは初回が1975年1月号とされているけれど、少なくともその5年以上前から「子供の科学」の定番企画だったはずだ。

ゲルマラジオのいい点は、空中を飛び交っている電波のエネルギーをそのまま捉えてイヤフォンを駆動させるので、電池が不要ということ。放送局が電波を発している限り、永久にラジオを聞き続けることができる。親も寝静まった深夜、オールナイトニッポンの泉谷しげるやあのねのね、カルメンなどのちょっとエッチな大人の会話を、子供心にどきどきしながら、布団の中でこっそり聴きながら眠りについていた。翌日の学校での友人たちとの話題の中心でもあった。ませた小学生だったものだ。

この頃、経緯は忘れたのだけれど、小学校の放送部員に選出されて、給食の時間の校内放送BGMのDJを担当することになった。それまでくるみ割り人形などの当たり障りのないクラシック音楽を淡々と流すのがその学校の伝統だったのだけれど、時々悪のりして、南沙織の「17歳」をかけてみたり、テレビのスピーカーにマイクを近づけて録音した「スパイ大作戦」や「謎の円盤UFO」のテーマ音楽を流したりもしていた。当時としては大胆な路線転換だったのだと今にして思うのだけれど、不思議なことに、選曲の件で先生から小言を喰らった記憶はない。著作権なんてものがあることすら知らなかった。

それまでは人より食べるのが遅くて給食の時間が大嫌いだったのに、放送部員になったおかげで、防音完備の放送室で一人DJしながら、じっくりと給食を食べられるので、大喜びしていたものだ。下校の時間まで学校に残って「下校の時間が来ました」とアナウンスしていたのも楽しい思い出となっている。

ラジオは1950年代まではじつに高価な電化製品で、家庭の中の家族が集まる茶の間に一台きり置かれるような、一家団欒の象徴的な存在だった。真珠湾攻撃を受けて、ルーズベルト大統領が米国民に語りかけることによって、アメリカが第二次世界大戦に参戦した際の重要なメディアもラジオだったし、オーソンウェルズが1938年に臨時ニュース形式で火星人襲来を描いたラジオドラマ「宇宙戦争」では、そのあまりの迫真の演技から、本物の火星人襲来と勘違いした視聴者が全米でパニックを引き起こした。

1945年8月14日深夜11時すぎ、戦局の劣勢から無条件降伏の受け入れを決めた御前会議の決定を受けて、国民に降伏を告げる天皇の肉声をレコード盤に録音する「玉音放送」の収録作業が始まる。翌15日朝、玉音放送を実力で阻止するために陸軍幹部将校の一部がクーデターを起こし、レコード盤の奪取を試みるが失敗。正午、日本国民はラジオから流れてくる天皇の聞き取りにくい肉声によって、真意を知ることとなる。当時の時代はラジオとともにあった。メディアをコントロールする人間は、権力を握る。

ソニーがトランジスタを実用化して、持ち運びが容易なポータブルラジオを発売したのが1955年。同じ頃、白黒テレビが三種の神器の一つとして日本人の家庭の茶の間に急速に普及し始め、日本は高度成長期に突入する。ラジオは家族を結ぶコミュニケーションの場としてのメディアの中心の座を急速に追われ、パーソナルでニッチなメディアへと変貌を遂げていく。管理人がものごころついた頃は、東京オリンピックの人気でカラーテレビがそろそろ普及し始め、ラジオは茶の間からすっかり追い出されていた。

布団の中でゲルマラジオで聴いていたオールナイトニッポンなどの深夜放送は、当時の中学高校生の受験勉強に欠かすことのできない「銀河通信」の時代へと変わっていった。

それから30年。世代は交替した。子供たちよ。これはゆずり葉の木です。

YahooBBによるADSLの価格破壊のおかげで、家庭におけるインターネット常時接続が常態化してからすでに6年。YouTubeやニコニコ動画は1年ちょっとの間に若者の間に文化として定着した。携帯電話によるワンセグ視聴ももはや当たり前の機能として一人一人に普及し始めている。3年後にはテレビのアナログ地上波が停止してしまう。ラジオを茶の間の主役の座から追放したテレビはこれから先、どこへ向かうのか。

子供達がニコニコ動画にはまっていて、テレビ地上波には見向きもしない現状や、管理人自身が地上波番組のあまりの衰退ぶりに愛想を尽かしている現状を冷静に振り返ると、いくら「かぐや」が月面の画像をハイビジョンで送ってくるとしても、家庭の茶の間でハイビジョンを視聴する環境に多額の投資をしようという気分にはどうしてもなれない。投資をしても、番組を見る気にもなれなければ、番組を見る時間もない。茶の間かモバイルか。それが問題だ。

管理人自身のこのところの生活パターンを振り返ってみると、パソコンで撮り溜めたナショナルジオグラフィックやディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルの大好きな番組をじっくりと見られる時間と言えば、出張中の飛行機の機上や新幹線の車中や宿泊先のホテルの部屋くらいのものだ。地上波、特に民放の番組は、自分の脳内が破壊される気分になるので、できるだけ見ないようにしている。録画した番組は溜まっていく一方なので、どこかで見ないともったいない。じゃぁモバイルで視聴できる環境を整えよう。ワンセグケータイ? iPhone? iPod nano? MacBook Air?

と、ここまで考えて、MacBook Airを発表したスティーブ・ジョブズの頭の中がちょっと読めたような気がした。MacBook Airがなんであれだけ内蔵ディスクやインターフェースをごっそり削った仕様にしたのに、USBやMicroDVIのインターフェースをちゃんと残したのか、と言えば、人生の思い出が詰まった過去のパーソナルな写真や音楽、ビデオ、大事なファイルなどを外部記憶におさめて、必要な仕事はMacBook Airで、高精細の出力は茶の間に置いてあるディスプレイで、つまりTPOに応じたコンビネーションを楽しみなさい、ということなのか。さあ、CPUのしがらみから解き放たれてしまおう。そう考えると、iPhoneでもiPod nanoでもなく、iPod Classicが欲しくなってしまった。攻殻機動隊の外部記憶というわけだ。タチコマがジャンク屋で見つけたあれ、ですな。Googleには絶対に晒さない、プライベートな人生の記憶。

Windows Vistaが不発となって半導体市場が値崩れし、ビル・ゲイツが最後のCES講演を行い、インテルCPUのラインナップがマルチコアに突き進んでムーアの法則のパラダイムが変貌を遂げていく中で、Microsoftに哲学はあるのか? 「家族のメディア」は「個人のメディア」へと進化して、その逆の流れはあり得ないのだろう。日本の家電産業にとって、地デジの未来はどこにあるのだ?

茶の間かモバイルか?

メディアの一極集中は危険だ。権力など分散化してしまった方が平和だし安全だ。「三権」という考え方自体がすでに分散化の度合いとしては少なすぎるのではないのか。在りし日のレイ・チャールズに乾杯! Hit the road Jack!

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2008.01.13

万博

昨年末、「異星の踏査」で月の石を見て、子供のころ万博にいけなかったことを思い出したから、というわけでもないのだろうけど、それから1ヶ月と経たないうちに太陽の塔をみる機会があるとは思いもしなかった。世界のあちこちを飛び回ってきたわりに、万博記念公園に38年目にしてやっと生まれて初めて足を踏み入れるとはね。人生とは不思議。

万博

あの頃の日本には、お金のあるところにはお金があったんだなぁ、と、なぜか妙なところで感心する。今のBRICs諸国の未来を見るような既視感。

誰かが「太陽の塔を横から見ると、千と千尋の神隠しのカオナシにそっくり」と言っていたけど、納得。

万博

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2008.01.03

ニッコール

父親の一周忌も過ぎて、形見のNikon D2xでいろいろと遊んでみる心の余裕がやっとできた。

管理人がニコンの一眼レフと初めて出会ったのは1976年。オートフォーカスも自動露出もないNikon F2の時代。露出計にレンズの絞り値を伝えるための爪がレンズの上部に出っ張っている。30年前に買った135mmと24mmのニッコールレンズを、2006年のD2xにおそるおそる装着してみると、ちゃんと使える。オートフォーカスは使えないけれど、それ以外の機能には問題がない。

Nikkor

フォーカスリングを回してピントを被写体に合わせながら、ゆっくりと構図を決めていくと、写真を撮る、という行為に興奮していた高校生の頃の情熱が少しずつよみがえってくる。このフォーカスリングの心地よい手応えは、カメラが自分の身体の一部となるような、言葉にはできない独特の感覚。

D2xpanel

ニコンという会社は、製品の一年間の進化が他の分野の七年間に相当するともいうパソコン業界やデジカメ業界の「Dog Year」といわれる時の流れの速度から独立して「一流」の地位を歩み続ける会社である、と、改めて感じた。

最初に買ったNikon F2は、大学院時代、外国からのお客様を車で案内する際に、車の屋根の上に置き忘れたまま、あわてて車を発進させて、アスファルトの道路に叩き付けてしまった。ボディが少しへこんで、フィルム巻き上げレバーの動作に干渉するようになったけれど、それを直しただけでちゃんと動作した。ごんざぶろうさんのいうところの「ニコン伝説」を身をもって実感した瞬間。

ただ、ピントは少しだけ「あとピン」になるようになってしまって、フォーカスを合わせたあとに無限遠のマーク∞の丸一つ分だけ、フォーカスを前進させないと、ちゃんと写らなくなってしまった。それでも憎めない写りをするところがやっぱりニコンだ。

Dog Yearをもたらした「ムーアの法則」のその先へ、が、今年のテーマになるかも。

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2008.01.02

あけましておめでとうございます

1日あいてしまいましたが、あけましておめでとうございます。

首都圏はスモッグがすっかり風で吹き飛ばされて、富士山もくっきりと。日没直後で、富士山の影が左上へと伸びています。寒いけれど、透明感のある一年の始まりの季節。

Mtfuji

今年はいよいよ国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」が完成して、日本人宇宙飛行士の長期滞在が始まる予定。1984年にレーガン大統領が中曽根総理に宇宙ステーション建設への参加を打診してから23年。じつに四半世紀に近い年月が流れたのですね。感無量というか。1998年、選抜試験の真っ最中に最初のモジュール、ザーリャが打ち上げられてからもうすぐ10年。選抜の時には「宇宙開発にはいろいろなことがある」とは覚悟していたものの、もし選ばれていたら、50歳すぎての初フライト、という事態になっていたかもしれないわけで、若い3人を選んだ当時のNASDAには、やはり先見の明があったというか...

シャトルの外部燃料タンクのECOセンサーのトラブルで、スケジュールがまた少し伸びそうだけれど、日本人宇宙飛行士の皆さんのご活躍をご祈念いたします。2008年が、きぼうの、その先への、飛躍の一年となりますように。

MSN産経ニュースにきぼうの特集記事が。

MSN産経ニュース:「きぼう」が開く、宇宙開発の新時代

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2007.12.27

異星の踏査

東大で打合せがあったあとの帰り道、赤門のところでふと「異星の踏査」のことを思い出して、見に行ってみた。ポスターを見ると展示は今日まで。なんという偶然。(追記:こちらの記事によると来年2月8日まで延長とのこと)

圧巻はアポロ17号が持ち帰った月の石。小型の石けんほどの大きさの石に驚く。子供の頃、大阪の万博でアメリカ館で月の石を展示していると知って、見たくて見たくて親に泣き落としやおどしをかけたりして「万博に連れて行って」とせがんだことが昨日のことのように思い出される。こんな形で月の石を拝むことになるとはね。さすが天下の東大。

セコムの警備員と警備ロボットに厳重に警備されていたのが、これまた印象的だった。

ビルト第二彗星のかけらのほうは、実は某所でお目にかかったことがあったので、「やぁ!」という感じ。いやそれにしても、目の保養になりました。

アンケートを記入して、絵葉書をもらったのだけど、受付の女性がえらく親切だった。

館内は写真撮影禁止なので、周辺の雰囲気を少しばかり... (追記:kazuさんのご指摘によると、写真撮影可とのこと)

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2007.11.24

天文台の「トトロの森」保存へ

天文台マダムがこよなく愛したという三鷹の国立天文台の敷地内にある築90年の官舎「一号宿舎」の保存が決まって、子どもたちの「絵本の家」として生まれ変わるという。

東京新聞:第二の人生『絵本の家』 築90年以上 国立天文台の宿舎

いやぁよかったよかった。さすが三鷹市長、やることが違う。

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2007.10.13

つくばヘリポート

つくばヘリポート一般公開(PDF)される、というので、見に行ってきました。

Tsukubaheli1
田んぼのどまんなかになぜかちょこんとヘリポートがある

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茨城県防災ヘリコプター「つくば」(川崎/ユーロコプター BK117
2004年7月の新潟・福島豪雨でも、浸水した住宅で孤立した住民の救出などで活躍したという。

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ハンガーの中にあった二人乗りの機体のコックピット

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遊覧飛行に飛び立つヘリ

一般公開に気がついたのが前日だったので、遊覧飛行の抽選に申し込むことは出来なかったのだけれど、なんとなく「日常の中の非日常」というのか、現実離れした雰囲気を楽しむことができた。

ハンガーの中をぶらぶらと歩いて思った。NASAの宇宙飛行士の訓練に使われるT-38ジェット練習機と直接比べるのもどうかとは思うけれど、ここには「空を職場とする男たち(女性も)」に共通する、プロフェッショナルならではの張りつめた緊張感と、大空を自由に駆け巡る精神の自由さとがすとんと同居している。

いいなぁ。いつか、ヘリの免許、取りたいなぁ。

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2007.07.29

“ブリキ細工”は4,000円

NBonline: 科学技術の“粉飾決算”は許されるか (宮田秀明の「経営の設計学」)

もちろん、“ブリキ細工”は目標にしない方がいい。勲章は官尊民卑の特殊な評価システムに従ったものだからである。
痛快なり。

にしても、「4000円くらいはすると思いますよ…」 には思わず笑ってしまった。お役人って案外おちゃめ。

それでも、よく言われるように正しく評価するのは、国内の研究ムラの住人ではなく、海外の人や機関であることが多いのを残念に思った。
同感ですね。日本でも眼力のあるWho's Whoを作る必要性を強く感じます。...と、ここまで書いて、自分でやってるWho's Whoのことを思い出した。作りかけでほったらかしだし、客観性や網羅性や権威などまるでないし。これじゃまさしく「天に向かって唾する」状態ですね。滝汗...

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2007.07.16

教育委員会

NBonline: 教育“委員会”を再生せよ (ワタミ社長渡邉美樹の「もう、国には頼らない。」)

では、なぜその教育委員会がうまく動かなくなったのか。委員会のメンバーを見ると原因が見えてきます。とにかく教育関係者に偏りすぎなのです。大学の先生、地域の校長先生やその候補者、教師OB、それ以外だと地元の名士、有力者というのが、一般的なメンバー構成です。議論の前提が、既存の学校や教師の権益をいかに守るか、となってしまうのも当然です。
どの業界も似たり寄ったり、というか。
ただし、私自身は、教育委員会をなくすことには反対なのです。教育再生会議の場でも、「教育委員会は残すべきだ」と発言しています。
同感です。「裁判員制度」のように、教育委員会のメンバーも抽選で選んで、「教育委員休業」の制度化を雇用主に義務づけるべきだと思う。癒着やなれ合いを防ぐために。

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2007.05.19

ワラタ

アンカテ: AppleがJASRACに払った2億5千万の行方は?

日本を駄目にする仲間同士仲良く出来ないのかw
2ちゃんねら、乙!

[追記 6/5] 「越前屋、おぬしもワルよのうぉ。ふぉっふぉっふぉ」という高笑いがどこからともなく聞こえてくる気がするのは、空耳アワーのせいか?

CNET Japan: アップル、文化庁を激しく非難--「私的録音録画補償金制度は即時撤廃すべき」

個人的には森田童子とか谷山浩子にも今でもちゃんと私的録音録画補償金が払われておるべきと考えるがさてその実態は...?

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2007.04.28

情報

中野不二男氏がジャク...?!

ひょぇぇ。おそるべし。

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2007.04.19

夜の帳

北太平洋上空、高度1万1千メートル。成田を飛び立ってから1時間半、サンフランシスコへ向かう大圏コースの機上からふと窓の外に目を向けると、どこまでも澄み切った成層圏の空の彼方から、夜の帳が巨大な壁のように迫ってくるのが見えた。

Earthshadow

写真ではわかりずらいけれど、水平線から接線方向に地球の影が宇宙へ向かって伸びているのがくっきりと見える。飛行機には何度も乗っているけれど、こんなにくっきりと地球の明暗境界線を目の当たりにしたのは初めて。皆既日食のときに巨大な月の影が地上をものすごい速度で覆っていくのを見た時と同じような畏怖を感じた。

いま眼下に広がっている地球はどれくらいの範囲だろうか。パソコンを取り出してExcelを使って三平方の定理で近似してみた。高度1万1千メートルだと、水平線までの距離は370km程度。とすると、眼下に広がるのは100〜200kmほどの風景ということになる。東京上空から関東平野一円が見渡せる、という計算か。

一方、宇宙ステーションの高度は400km。鹿児島上空から北海道の先までが視界に入ることになる。

ボーイング747の飛行高度は宇宙ステーションの36分の1。しかし視界の広さで比べると6分の1程度でしかない。宇宙に行く夢はかなわなかったけれど、かつて零戦のパイロットが苦労して登りつめた成層圏で、宇宙の片隅にいる自分を感じた一瞬だった。

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2007.03.31

jaxagoods.net

「明日モ生キル為ニ」さん経由:

宇宙食、宇宙グッズ、JAXAグッズ、NASAグッズの宇宙の店

おお! こんな店があったんですね。知りませんでした!!

貿易センタービルというから、旧NASDA本社があった頃からのビジネスなんでしょう。ちょっと得体の知れない雰囲気のwebサイトではあるけれど、めもめも。

「特定商取引法に関する表示」のページのゆるさに脱力〜 あるいみ癒し系?

jaxagoods.netってビミョーなドメイン名ですね。JAXAはどこまでご存知なのだろうか。周辺ビジネスで思い出すのはSpace Center Houseton(注:音が出ます)とかKennedy Space Center Visitor Complexとか..... 日本にもこういうセンスのある周辺ビジネス、根つかないかな...

でも「センスのある」って難しいですね。「The Nature Company」も撤退しちゃったし。あの雰囲気、好きだったんだけどなぁ... そういえば上野駅構内にもなにかそれ系の店があったけど、あの立地でさえ撤退しちゃったし。

そういう意味では「王様のアイデア」って素晴らしいですよね。1965年創業、子供の頃、まだ東京という夢の街に憧れていた時代の象徴的存在だった。今でも営業を続けているというのは、ある意味、奇跡のシーラカンス?

秋葉原のガード下には、SONYの初代ウォークマンや、BCL全盛時代のSONYの短波ラジオを売っている、ちょっとあれげな店があって、昭和の時代にタイムスリップすることができる。攻殻機動隊のタチコマエピソード的というか、なんだか過去の子供時代に閉じこもってしまいたくなる。いかんですね。われながら歳食ったなぁ...

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2007.03.22

YouTubeえらい

つぶやきおじさんのRSS未読も大量に溜まっていたのを本日やっと読了。

その中で、この記事からリンクされているYouTubeのパネル討論会が極めて印象に残った。

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とはいえ、後半部分はパネリストの集中力が切れたのか、論点が発散して収拾がつかなくなっているけれど、ふつうではなかなかお目にかかれない、裏の世界の話が満載。

道警と北海道新聞の泥仕合の行方も気になるけれど、それよりもっと気になるのは、道警が失敗したというおとり捜査で流れた130kgの覚醒剤の背後に見え隠れする国際犯罪網の影。

とまれ、YouTubeがこのような映像の媒体になっている限りは、ある種の安全弁として機能するので、心強い。

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2007.03.11

世情

忙しくてkazuさんのRSSフィードの未読が山のように溜まっていたのを、この週末かけてやっと読了(謎。

その中で紹介されていたYouTubeのリンクを見ていて、ちょっと鳥肌が立ったのが、これこれ

いったいどんな人が映像編集しているのだろう。「Web 2.0 ...」のほうは細かいところまで技術的な配慮が効いていて、すばらしい。

「Did you know?」のほうは、それぞれの統計の原典にあたってみないとちょっと「?」というところもあるけれど、「We are living in exponential times.」というのは完全に同意。背景にアルゴンヌの人たちの世界観を感じるのだけれど、気のせいだろうか? 映画「ターミネーター」の世界観にもつながる。日本国内にいたのでは、この感覚はなかなか味わえないなぁ...

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最近、iTunes Music Storeのギフトコードが贈られてきたので、中島みゆきの「世情」を購入してみた。

♪世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが 哀しい想いをする
変わらないものを なにかに例えて
そのたび崩れちゃ そいつのせいにする
(中島みゆき 「世情」JASRACコード 04428021; ISWC T-101.324.145-5)
これは1978年のアルバム「愛していると云ってくれ」に収められている一曲。その10年ほど前の学生運動に参加していた世代へのレクイエムとなっている。

じっくり聴き直すのは何十年ぶりになるだろう。セピア色に変色したくても変色することが出来ないデジタル技術に閉じ込められた中島みゆきの歌声に思わず鳥肌が立つ。検索一発で30年前の記憶が突然目の前に提示されるという悲哀。

1969年1月18日、全共闘がバリケード封鎖していた東大構内に機動隊が突入し、翌19日、学生の最後の砦となっていた安田講堂が陥落した。翌20日、東大は1969年度の入学試験の中止を発表。

その4週間ほど前のクリスマスイブには、アポロ8号が人類史上初めて地球以外の天体の周回軌道に到達し、ウィリアム・アンダース宇宙飛行士が、月の地平から登ってくる地球の姿を写真に収めた。

庄司薫がこの時代のノンポリ受験生の感性を鋭く描いた「薫くん現象」が一世を風靡し、『赤頭巾ちゃん気をつけて』が芥川賞を受賞する。

4部作の最後となる『ぼくの大好きな青髭』が出版されたのも、奇しくも「世情」と同じ1978年。この9年間の日本人、特に若い世代の世界観の激動ぶりは敗戦時のそれとも匹敵する、と、思える。中国の若者が天安門事件のことを知らないのも、日本のこの時代を振り返ればどこか納得できるものがある。

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昨日は東京大空襲から62年だった。

ちょっと調べてみると、戦争を経験した日本人にとって忘れることのできない名前となった長距離爆撃機ボーイング「B29」、が、初めて日本を爆撃したのは1944年6月16日。八幡製鉄所の夜間爆撃を目指して米第20爆撃兵団第58爆撃航空団のB29の62機が中国の成都から北九州上空に侵攻している。

東京上空にB29が初めて飛来したのは11月24日。当時の日本軍機はエンジン性能が低く、高度1万メートル以上では満足な迎撃を行うことができなかったが、B29の側も、日本上空の強いジェットストリームに流され、軍事目標であった中島・武蔵製作所への爆弾のほとんどを外している。

それから2ヶ月後の1945年1月20日、サイパン・テニアン両島のB29爆撃機部隊の司令官であったハンセル准将が更迭され、ドイツ本土への戦略爆撃で功績をあげていたカーチス・E・ルメイ少将が着任する。ハンセル准将が軍事目標に対する高高度からの精密爆撃にこだわり、ワシントンの意向であった焼夷弾を用いた民間人への大量無差別爆撃に対して消極的であったことが更迭の理由と言われる。

3月10日、ルメイ少将の命を受け、サイパン・テニアン両島から発進した325機のB29が、2000メートルほどの低空から東京に1665トンの焼夷弾を投下。犠牲者の数は8万人とも10万人とも言われる。空襲は2時間半に及び、東京下町の木造家屋が折からの強い風にあおられて大火災となった。犠牲の多くは、発生した火災旋風による焼死や、熱を逃れて川に飛び込んだことによる溺死や圧死、など。ルメイ少将はのちに「もしアメリカが負けていたら、自分は戦争犯罪人として裁かれていた」と述べたと言われる。

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機銃掃射にやってくる艦載戦闘機コルセアのパイロットの顔をはっきりと見たという父は、昨年、鬼籍に入った。学生運動の記憶を持つ団塊の世代の大量退職が今月末から始まる。4月には平成生まれの大学1年生が入学してくる。

世の中は指数関数的に進歩し、ネット上を流れる情報の質と量もとどまることを知らず増え続けているけれど、人間の寿命と世代交替の時間は変わらないまま。

今回、Wikipediaをあちこち見ていて、大学紛争や戦争当時の記述が驚くべき勢いで増え続けていることに感銘を受けた。でも、ギルダーの法則に支えられた情報通信量の指数関数的増加は、人々の記憶と寿命との戦いに果たして打ち克つことが出来るのだろうか。

♪世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが 哀しい想いをする

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2007.02.18

House of Representatives

どうでもいいことだけど、平日の国会審議中とおぼわしき時間帯に当サイトの「モスキート着信音その後」のページへ衆議院からアクセスが...

Houseofrepresentatives1

Houseofrepresentatives2

JavaScriptを切ってるから、レファラが不明。ごひいきいただき毎度ありがとうございます。にしても、なにをお探しでございましょう。お探し物はお見つかりになりましたでしょうか? ;p

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2006.12.20

虚空の情緒?

出版社名と著者名を見た時に、以前買った本の悪夢がちょっとよみがえったんですが、やっぱそうですか。そうですよね。

松浦さんに期待。

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2006.12.16

flickr使ってみました

なにを今さら感120%全開ですが、ふと思い立って、flickrを使ってみました

wgetをひろってきてmakeして、5thstarブログからこれまでに使った画像を一括全ダウンロードして、flickrに登録。3年間で117枚。いやぁ溜まれば溜まるもんですね。

諸般の事情で、解像度は低いままです。m(__)m

ついでにフォクすけも加えてみました。周辺機能で遊ぶの、ほとんど3年ぶり。

そういえばココログを使いはじめて今日でちょうど3年。明日から4年目に突入。時間が経つのが早すぎる ;_;

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2006.09.23

SIMロック解除事件その後

はてぶつながりでこんな記事を見つけた。

ちょっと引用すると

13日、商標法違反などで逮捕されていたL&K社長の陸さんら4人は全員、釈放されました。
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たぶん、総務省の資料すら読んでいなかったのでしょう。こういう世紀のバカが、日本では警察やってるんです。そりゃ、オレオレ詐欺もやり放題だわな。
だそうです。