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2009.03.07

両"ヤイリ"の昔と今

今から30年前、高校三年生になってそろそろ受験勉強も本格的に始めなければなぁ、と、心理的になんとなく追いつめられていた頃、友人たちがやっていたフォークバンドの練習場所に入り浸ってアコースティックギターの生の音色に魅せられてしまった。

なにをトチ狂ったのか、それまでまったく音楽のおの字も知らなかったのに、よせばいいのに親にも内緒で貯金をはたいてフォークギターを買うことに決めた。悪友を誘って楽器店に行き、そこそこの値段で買えるいいギターはどれか、と、品定めをお願いしてみた。

当時のにわかフォークギター少年にとってみれば、石川鷹彦さんの「フォークギター入門」がバイブル的存在。アメリカのMARTIN社のヘリンボーンドレッドノートがあこがれの楽器だった。

「それならいいギターがある」といって、その悪友に勧められたのが「S. Yairi」とシンプルに書かれた国産ギター。雰囲気もサイズもMARTIN D-28そのもの。

その日以来、家には持ち帰れないので、ギターケースに入れて学校の教室のロッカーの上において、放課後に独り教室で、時には悪友たちとかわりばんこに、弦をかき鳴らすことになる。思えば、スタジオジブリの幻の名作「海がきこえる」を地でいくような、自由でいい高校だった。体育祭のときの学校側と生徒との衝突もまさにあの映画のまま。

自分自身のギターの腕前はついぞ上達しなかったが、S. Yairiがかなでる音色は悪友たちにうらやましがられ、コンサートのたびに彼らにかり出されては聴衆を魅了した。卒業式のあとのクラスでの茶話会で、そのギターを引っ張りだしてきてビートルズの「Yesterday」を弾き語りしたのが、後にも先にも人生で一度きりのコンサートの経験となった。

そんな過去の記憶を呼び戻すきっかけになったのがこの記事。

日経ビジネスオンライン:解雇、増産、定年なし“たわけ”の哲学

「そういえばK. Yairiというブランドもあったな。K. YairiとS. Yairiの違いってなんだ?」と思ってググって見たら、こんなページを見つけた。

2つのヤイリ

さて、以上に書いたことを、幾つかの事実誤認が含まれることは覚悟の上で誤解を恐れずに総括するならば…、 創業当時は 『保守的堅実経営の “S”』に対し 『先進的チャレンジ経営の “K”』 という形で反目していたものが、現在では、 『商業的大量生産主義の “S”』 に対する『職人集団による国産手工主義の “K”』 という図式の反目に逆転した…、 と理解していた。ところが、この稿を書いて今一度両社の現状を振り返るに、“新生 S.YAIRI” の目指すところは『リーズナブルで本格的なギターを供給し、若い世代に裾野を広げたい』 という思想であり、“K.YAIRI” については、『確かな技術、確かな品質を後世に残し、世界に誇れるギターを作り続けたい』 ということではなかろうか…。そのためには、伝統の枠には収まらないチャレンジャブルな試みも極めて重要なのであろう。
うーむ、そういうことだったのか。30年前のじぶんはS. Yairiの朴訥で飾らない、自己主張をしないのに存在感がある重厚さが好きだったのに、50に近くなった今、若者を育てていくためにはK. Yairiのような息の長いチャレンジにも価値があったことがよくわかる。

ギターの弦の12フレット、7フレット、5フレットをそれぞれ指で軽く押さえて弦を弾くと、ハーモニクスと呼ばれる高い音程の独特の音が出る。絶対音感がない人間にとってはハーモニクスはギターを手っ取り早くチューニングするための簡便な方法だけれど、このハーモニクスは物理や工学の観点から見れば2次、3次、4次高調波になる。ロケットや橋や高層建築を設計する人間にとっては高調波の存在は必須の基礎知識だ。九州の東シナ海沿岸で先月末に大きな被害を出した「あびき(副振動)」と呼ばれる現象も、東シナ海やそれぞれの湾での固有振動周波数が重大な意味を持つ。YouTubeでも見られる「タコマ橋の崩落」は失敗学の教科書ならどれにでも出てくるくらいの記憶に残る事件となっている。

命をかけて戦地に赴くパイロットたちと酒を酌み交わしながら陸軍の隼戦闘機を設計し、戦後、GHQに航空機の開発を禁じられると、東大で日本初の人工衛星の打ち上げを目指し、その夢の達成直前でマスコミとの確執により東大教授の職を辞した糸川英夫博士が晩年愛したのがバイオリンの設計だったと言う。ロケットの機体を設計する際の固有振動周波数の計算とバイオリンの音色との調和が博士の心を魅了したのだろうか。

某元社長のブログによれば、糸川博士というのはなかなか個性が強烈な方だったようだ。あれから30年。東大教授の先生方ともさまざまなおつきあいをせねばならぬ立場になったとはいえ、当時を彷彿とさせるような強烈な個性の持ち主はさすがに少なくなってきて、いまや絶滅危惧種とも言える。

扱いづらい天才。頑固一徹の"たわけ"職人。

ふと、日本という国の来し方と行く末について、つらつらと思う。

[追記] S. YairiとK. Yairiの開発哲学の違いって、某NASDAと某ISASの...(以下略

[追記2] Wikipediaで糸川博士の経歴を改めて見直していたら、博士が東大を退官されたのは1967年、54歳のときだったのですね。ということはNASDAがらみで科技庁の宇宙開発推進本部との間でかなりのすったもんだがあった時期ということに。糸川博士の退官の理由を的川先生は「銀座のママを巡る新聞記者との確執」と述べておられるようで、私もそう信じてたんですが、実際にはもっとドロドロしたものがあったのかも...? 中曽根元総理に直撃取材してみませんか>松浦さん?

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