米本土爆撃の記憶、宗谷岬沖の死闘
Long Tail Worldで伊25潜の艦載機による米本土爆撃の話が出ていた。
Long Tail World: 米本土爆撃の人、藤田信雄:66 Years Ago Today, Nobuo Fujita Came
satomiさんはお若い人のようだから、この史実を知らないのも無理はないし、歴史に興味を持つことはとても良いことだと思う。
しかしこの記事からリンクされている向井万起男氏(向井宇宙飛行士の夫)の英文コメントには驚いた。あのトリビアというトリビアをなんでも知っていてすべてにおいてハードボイルドの万起男ちゃんが伊25潜の爆撃を知らなかったなんて。私より年配なのに。
と、驚いてしまう私は少数派なのでしょうか。私自身は小学生の頃に読んだ太平洋戦争の戦記を読んで以来、米本土爆撃は(戦果が挙がらなかったことも合わせて)誰でも知っていることだと思っていました。今でもアメリカ西海岸の大規模な山火事のニュースに接する度に、藤田信雄飛曹長らのことを思い出します。
しかし万起男ちゃんのこの結語には違和感を覚えてしまう。
Mind you, American people, it is impossible to make a website, such as "Kilroy was here", in Japan yet! There is few or no website about Japanese veterans now.いまやWikipediaには当時の状況が少しずつ蓄積されつつある。しかし第二次大戦ではあまりにも多くの人が死んでいった。インパール作戦やガダルカナルの兵力逐次投入、ポツダム宣言への対応など、大本営や現地司令官のたび重なる判断ミスによってあまりにも多くの命が無駄に失われてしまった。英雄と一兵卒の命の重みにどのような違いがあると?
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宗谷岬沖で日本側が沈めた米潜水艦ワフーSS238の乗組員の遺族と稚内市との交流の記録がこのページにある。ワフーはこの資料によれば日本のタンカーや輸送船を20隻、計6万トン沈めたという伝説の潜水艦らしい。1943年秋、パールハーバーから日本海のパトロールに出撃して以来、行方不明となり、機雷で沈没したか、自らの魚雷で沈没したか、など、いくつかの可能性が指摘されていたとのこと。
館長の遺族がまとめた記録によると、ワフーは1943年10月11日午前9時20分、宗谷岬の沖合25海里を潜望鏡を上げて航行中に稚内基地を飛び立った日本軍の哨戒機に発見され、爆弾2発を被弾、海面に油の帯と空気の泡を残す。以降、午後4時30分まで14回にわたる日本軍機の攻撃を受ける。ワフーはこの攻撃以来、消息を絶ち、米海軍によって行方不明と認定された。
2004年からロシアが宗谷海峡で行っていた沈没潜水艦の捜索で米潜水艦と思われる艦影が発見され、2005年に関係者から遺族会に通知される。2006年10月31日、米海軍がついにワフーの沈没場所を公認。
じつは艦長の孫とは、20年ほど前の私のアメリカ滞在中に、それぞれの国の戦争責任について、酒を飲みながら熱く語り合っていたことがあるのだけれど、その彼が、祖父の潜水艦の沈没原因の特定にここまで執念を燃やしていたとは、最近になるまで知らなかった。
暗い海底でひっそりと溺死するのも、ジャングルの中でウジ虫にたかられながら餓死して行くのも、人々の記憶に残る戦死を遂げるのも、命の重みに変わりはない。
平和の尊さをかみしめるとともに、戦争を知らない私の世代がさらに戦争を知らない世代を再生産することのないように、歴史を学ぶということについて次の世代へと伝えていければと思う。どうすればいいのかがわからないのだけれど。
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