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2008.01.24

ラグランジュポイントでお会いしましょう!

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久しぶりに長沼センセイを囲んで、リユニオン。合い言葉は「ラグランジュポイントで会いましょう!」

いや確かにいろんなやつらが集まっていそうですわセンセ。

知人の一人が今南極に行ってると聞いて、喫驚。

2008.01.19

Hit the road Jack!

管理人が人生の中で初めてラジオ番組と出逢ったのは、自分で作ったゲルマラジオから流れてきた音声だった。たしか小学校5年生の頃。誠文堂新光社から今も出版されている雑誌「子供の科学」に、円形のタッパウェアを利用したゲルマラジオの作り方が載っていた。それを見て、ポリバリコンやゲルマニウムダイオード、クリスタルイヤフォンを雑誌の広告に載っていた通販会社から買い求め、エナメル線をタッパウェアに丁寧に巻いて、父親のハンダゴテを借りて、部品をハンダ付けした。イヤフォンから初めて近くの放送局の音声が聞こえてきたときの感動は今でも忘れることができない。アンテナ線を部屋の中に張り巡らせて、日がな一日、ラジオ放送に聞き入っていた。このページの「やさしい丸型ゲルマ・ラジオ」にまさしくその時作ったものと同形のゲルマラジオが載っている。ここでは初回が1975年1月号とされているけれど、少なくともその5年以上前から「子供の科学」の定番企画だったはずだ。

ゲルマラジオのいい点は、空中を飛び交っている電波のエネルギーをそのまま捉えてイヤフォンを駆動させるので、電池が不要ということ。放送局が電波を発している限り、永久にラジオを聞き続けることができる。親も寝静まった深夜、オールナイトニッポンの泉谷しげるやあのねのね、カルメンなどのちょっとエッチな大人の会話を、子供心にどきどきしながら、布団の中でこっそり聴きながら眠りについていた。翌日の学校での友人たちとの話題の中心でもあった。ませた小学生だったものだ。

この頃、経緯は忘れたのだけれど、小学校の放送部員に選出されて、給食の時間の校内放送BGMのDJを担当することになった。それまでくるみ割り人形などの当たり障りのないクラシック音楽を淡々と流すのがその学校の伝統だったのだけれど、時々悪のりして、南沙織の「17歳」をかけてみたり、テレビのスピーカーにマイクを近づけて録音した「スパイ大作戦」や「謎の円盤UFO」のテーマ音楽を流したりもしていた。当時としては大胆な路線転換だったのだと今にして思うのだけれど、不思議なことに、選曲の件で先生から小言を喰らった記憶はない。著作権なんてものがあることすら知らなかった。

それまでは人より食べるのが遅くて給食の時間が大嫌いだったのに、放送部員になったおかげで、防音完備の放送室で一人DJしながら、じっくりと給食を食べられるので、大喜びしていたものだ。下校の時間まで学校に残って「下校の時間が来ました」とアナウンスしていたのも楽しい思い出となっている。

ラジオは1950年代まではじつに高価な電化製品で、家庭の中の家族が集まる茶の間に一台きり置かれるような、一家団欒の象徴的な存在だった。真珠湾攻撃を受けて、ルーズベルト大統領が米国民に語りかけることによって、アメリカが第二次世界大戦に参戦した際の重要なメディアもラジオだったし、オーソンウェルズが1938年に臨時ニュース形式で火星人襲来を描いたラジオドラマ「宇宙戦争」では、そのあまりの迫真の演技から、本物の火星人襲来と勘違いした視聴者が全米でパニックを引き起こした。

1945年8月14日深夜11時すぎ、戦局の劣勢から無条件降伏の受け入れを決めた御前会議の決定を受けて、国民に降伏を告げる天皇の肉声をレコード盤に録音する「玉音放送」の収録作業が始まる。翌15日朝、玉音放送を実力で阻止するために陸軍幹部将校の一部がクーデターを起こし、レコード盤の奪取を試みるが失敗。正午、日本国民はラジオから流れてくる天皇の聞き取りにくい肉声によって、真意を知ることとなる。当時の時代はラジオとともにあった。メディアをコントロールする人間は、権力を握る。

ソニーがトランジスタを実用化して、持ち運びが容易なポータブルラジオを発売したのが1955年。同じ頃、白黒テレビが三種の神器の一つとして日本人の家庭の茶の間に急速に普及し始め、日本は高度成長期に突入する。ラジオは家族を結ぶコミュニケーションの場としてのメディアの中心の座を急速に追われ、パーソナルでニッチなメディアへと変貌を遂げていく。管理人がものごころついた頃は、東京オリンピックの人気でカラーテレビがそろそろ普及し始め、ラジオは茶の間からすっかり追い出されていた。

布団の中でゲルマラジオで聴いていたオールナイトニッポンなどの深夜放送は、当時の中学高校生の受験勉強に欠かすことのできない「銀河通信」の時代へと変わっていった。

それから30年。世代は交替した。子供たちよ。これはゆずり葉の木です。

YahooBBによるADSLの価格破壊のおかげで、家庭におけるインターネット常時接続が常態化してからすでに6年。YouTubeやニコニコ動画は1年ちょっとの間に若者の間に文化として定着した。携帯電話によるワンセグ視聴ももはや当たり前の機能として一人一人に普及し始めている。3年後にはテレビのアナログ地上波が停止してしまう。ラジオを茶の間の主役の座から追放したテレビはこれから先、どこへ向かうのか。

子供達がニコニコ動画にはまっていて、テレビ地上波には見向きもしない現状や、管理人自身が地上波番組のあまりの衰退ぶりに愛想を尽かしている現状を冷静に振り返ると、いくら「かぐや」が月面の画像をハイビジョンで送ってくるとしても、家庭の茶の間でハイビジョンを視聴する環境に多額の投資をしようという気分にはどうしてもなれない。投資をしても、番組を見る気にもなれなければ、番組を見る時間もない。茶の間かモバイルか。それが問題だ。

管理人自身のこのところの生活パターンを振り返ってみると、パソコンで撮り溜めたナショナルジオグラフィックやディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルの大好きな番組をじっくりと見られる時間と言えば、出張中の飛行機の機上や新幹線の車中や宿泊先のホテルの部屋くらいのものだ。地上波、特に民放の番組は、自分の脳内が破壊される気分になるので、できるだけ見ないようにしている。録画した番組は溜まっていく一方なので、どこかで見ないともったいない。じゃぁモバイルで視聴できる環境を整えよう。ワンセグケータイ? iPhone? iPod nano? MacBook Air?

と、ここまで考えて、MacBook Airを発表したスティーブ・ジョブズの頭の中がちょっと読めたような気がした。MacBook Airがなんであれだけ内蔵ディスクやインターフェースをごっそり削った仕様にしたのに、USBやMicroDVIのインターフェースをちゃんと残したのか、と言えば、人生の思い出が詰まった過去のパーソナルな写真や音楽、ビデオ、大事なファイルなどを外部記憶におさめて、必要な仕事はMacBook Airで、高精細の出力は茶の間に置いてあるディスプレイで、つまりTPOに応じたコンビネーションを楽しみなさい、ということなのか。さあ、CPUのしがらみから解き放たれてしまおう。そう考えると、iPhoneでもiPod nanoでもなく、iPod Classicが欲しくなってしまった。攻殻機動隊の外部記憶というわけだ。タチコマがジャンク屋で見つけたあれ、ですな。Googleには絶対に晒さない、プライベートな人生の記憶。

Windows Vistaが不発となって半導体市場が値崩れし、ビル・ゲイツが最後のCES講演を行い、インテルCPUのラインナップがマルチコアに突き進んでムーアの法則のパラダイムが変貌を遂げていく中で、Microsoftに哲学はあるのか? 「家族のメディア」は「個人のメディア」へと進化して、その逆の流れはあり得ないのだろう。日本の家電産業にとって、地デジの未来はどこにあるのだ?

茶の間かモバイルか?

メディアの一極集中は危険だ。権力など分散化してしまった方が平和だし安全だ。「三権」という考え方自体がすでに分散化の度合いとしては少なすぎるのではないのか。在りし日のレイ・チャールズに乾杯! Hit the road Jack!

Tsubasa

今夜(18日)の「たけしの誰でもピカソ」は70年代のフォークソング特集だった。正やんやこうせつやイルカの歌声をぼーっと聴いていて、ふと10年前の選抜のことを思い出した。

ということで、ほとんど4年ぶりに選抜体験記に新エントリーを書いてみた。

5thstar 選抜体験記:翼をください

歌は、遠い昔の記憶を連れてくる。

2008.01.14

電波生物?

数日前のニュースだけど、カーボンナノチューブの分子1個だけで、ラジオにもなるし、電波発信器にもなるものが米カリフォルニア大学バークレー校で開発されたという。

MSN産経ニュース: 人毛の1万分の1 米で世界最小ラジオ開発

サイエンスライターの竹内薫氏のコメントでは、「血液成分や細胞の状態などをモニターすることもできるのではないか」と、医療分野への応用の期待を述べているけど、分子1個と聞いてふと思った。広い宇宙をくまなく探せば、この分子を使って電波でコミュニケーションする生物がどっかにいるんじゃないかと。

SF作家の堀晃さんだったら、そんな作品を書きそうだな。ラリー・ニーブンでもいいけれど。堀さん、新作発表しないかなぁ...

2008.01.13

万博

昨年末、「異星の踏査」で月の石を見て、子供のころ万博にいけなかったことを思い出したから、というわけでもないのだろうけど、それから1ヶ月と経たないうちに太陽の塔をみる機会があるとは思いもしなかった。世界のあちこちを飛び回ってきたわりに、万博記念公園に38年目にしてやっと生まれて初めて足を踏み入れるとはね。人生とは不思議。

万博

あの頃の日本には、お金のあるところにはお金があったんだなぁ、と、なぜか妙なところで感心する。今のBRICs諸国の未来を見るような既視感。

誰かが「太陽の塔を横から見ると、千と千尋の神隠しのカオナシにそっくり」と言っていたけど、納得。

万博

2008.01.06

科学技術立国の先に待ち受けるもの

この記事を読んで、ふと思い出した議論がある。

三年ほど前、ある酒の席で「ポスドク1万人計画がもたらしたもの」と、「若い世代のキャリアパス」について雑談を交わしていたときのこと。ある人が「ポスドク1万人計画によって大量に職にあぶれた博士たちの目の前に、防衛産業の就職口が提供されたら、職に困った若い世代は雪崩を打つようにそのポストに群がるだろう」と、ポツンと懸念を漏らした。

当時の私は「まさかそこまで世の中が急速に変わることはないだろう」と、たかをくくっていたけれど、どうもその後の宇宙基本法の動きや関連業界の動きを眺めていると、私のこの認識はかなり甘かったらしい。

東京新聞:武器輸出3原則 緩和検討 政府 共同開発など解禁

政府が武器輸出三原則を緩和する方向で検討に入ったとのこと。武器の開発・生産を他国と共同で行うことと、共同開発参加国への輸出の解禁が検討課題らしい。

この記事では三菱グループ側の本音が透けて見えてくる。

三菱電機相談役
日本経団連評議員会副議長・宇宙開発利用推進委員長
谷口一郎氏:
「産業界では、第二期科学技術基本計画の間に宇宙関係国家予算がおよそ八五%程度の水準にまで減り、宇宙開発・宇宙利用に従事する従業員も約三割減少しました。」
「宇宙予算の減少などにより、宇宙関連企業の数が半減しているのは非常に大きな心配事です。これを取り戻すためには政府のアンカーテナンシー(長期調達保証)の確立が必要です。」
「米国の場合、NASAの予算約1兆6000億円とは別に国防総省にも同程度の宇宙関係国家予算があるのです。それによって開発と技術・技能の伝承が行われているのです。」
「その際には、防衛庁にもぜひ参加いただいたらよいと思います。」

参考URL:
宇宙政策シンクタンク_宙の会:宇宙基本法をめぐる議論
スペースレフニュース:2007-11-19 井上ひさしさんら有識者7人、「宇宙基本法」反対アピール
松浦晋也のL/D:「宇宙基本法を考える2」の補足その1
松浦晋也のL/D:「宇宙基本法を考える2」の補足その2

就職口(人件費)というのは、若い技術者を意のままに効果的に動かす麻薬のような権力だと改めて感じいる。「ポスドク1万人計画は大成功だった」とほくそ笑んでいる関係者がどこかに潜んでいないだろうか...??

2008.01.03

ニッコール

父親の一周忌も過ぎて、形見のNikon D2xでいろいろと遊んでみる心の余裕がやっとできた。

管理人がニコンの一眼レフと初めて出会ったのは1976年。オートフォーカスも自動露出もないNikon F2の時代。露出計にレンズの絞り値を伝えるための爪がレンズの上部に出っ張っている。30年前に買った135mmと24mmのニッコールレンズを、2006年のD2xにおそるおそる装着してみると、ちゃんと使える。オートフォーカスは使えないけれど、それ以外の機能には問題がない。

Nikkor

フォーカスリングを回してピントを被写体に合わせながら、ゆっくりと構図を決めていくと、写真を撮る、という行為に興奮していた高校生の頃の情熱が少しずつよみがえってくる。このフォーカスリングの心地よい手応えは、カメラが自分の身体の一部となるような、言葉にはできない独特の感覚。

D2xpanel

ニコンという会社は、製品の一年間の進化が他の分野の七年間に相当するともいうパソコン業界やデジカメ業界の「Dog Year」といわれる時の流れの速度から独立して「一流」の地位を歩み続ける会社である、と、改めて感じた。

最初に買ったNikon F2は、大学院時代、外国からのお客様を車で案内する際に、車の屋根の上に置き忘れたまま、あわてて車を発進させて、アスファルトの道路に叩き付けてしまった。ボディが少しへこんで、フィルム巻き上げレバーの動作に干渉するようになったけれど、それを直しただけでちゃんと動作した。ごんざぶろうさんのいうところの「ニコン伝説」を身をもって実感した瞬間。

ただ、ピントは少しだけ「あとピン」になるようになってしまって、フォーカスを合わせたあとに無限遠のマーク∞の丸一つ分だけ、フォーカスを前進させないと、ちゃんと写らなくなってしまった。それでも憎めない写りをするところがやっぱりニコンだ。

Dog Yearをもたらした「ムーアの法則」のその先へ、が、今年のテーマになるかも。

2008.01.02

あけましておめでとうございます

1日あいてしまいましたが、あけましておめでとうございます。

首都圏はスモッグがすっかり風で吹き飛ばされて、富士山もくっきりと。日没直後で、富士山の影が左上へと伸びています。寒いけれど、透明感のある一年の始まりの季節。

Mtfuji

今年はいよいよ国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」が完成して、日本人宇宙飛行士の長期滞在が始まる予定。1984年にレーガン大統領が中曽根総理に宇宙ステーション建設への参加を打診してから23年。じつに四半世紀に近い年月が流れたのですね。感無量というか。1998年、選抜試験の真っ最中に最初のモジュール、ザーリャが打ち上げられてからもうすぐ10年。選抜の時には「宇宙開発にはいろいろなことがある」とは覚悟していたものの、もし選ばれていたら、50歳すぎての初フライト、という事態になっていたかもしれないわけで、若い3人を選んだ当時のNASDAには、やはり先見の明があったというか...

シャトルの外部燃料タンクのECOセンサーのトラブルで、スケジュールがまた少し伸びそうだけれど、日本人宇宙飛行士の皆さんのご活躍をご祈念いたします。2008年が、きぼうの、その先への、飛躍の一年となりますように。

MSN産経ニュースにきぼうの特集記事が。

MSN産経ニュース:「きぼう」が開く、宇宙開発の新時代

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