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2008.01.19

Hit the road Jack!

管理人が人生の中で初めてラジオ番組と出逢ったのは、自分で作ったゲルマラジオから流れてきた音声だった。たしか小学校5年生の頃。誠文堂新光社から今も出版されている雑誌「子供の科学」に、円形のタッパウェアを利用したゲルマラジオの作り方が載っていた。それを見て、ポリバリコンやゲルマニウムダイオード、クリスタルイヤフォンを雑誌の広告に載っていた通販会社から買い求め、エナメル線をタッパウェアに丁寧に巻いて、父親のハンダゴテを借りて、部品をハンダ付けした。イヤフォンから初めて近くの放送局の音声が聞こえてきたときの感動は今でも忘れることができない。アンテナ線を部屋の中に張り巡らせて、日がな一日、ラジオ放送に聞き入っていた。このページの「やさしい丸型ゲルマ・ラジオ」にまさしくその時作ったものと同形のゲルマラジオが載っている。ここでは初回が1975年1月号とされているけれど、少なくともその5年以上前から「子供の科学」の定番企画だったはずだ。

ゲルマラジオのいい点は、空中を飛び交っている電波のエネルギーをそのまま捉えてイヤフォンを駆動させるので、電池が不要ということ。放送局が電波を発している限り、永久にラジオを聞き続けることができる。親も寝静まった深夜、オールナイトニッポンの泉谷しげるやあのねのね、カルメンなどのちょっとエッチな大人の会話を、子供心にどきどきしながら、布団の中でこっそり聴きながら眠りについていた。翌日の学校での友人たちとの話題の中心でもあった。ませた小学生だったものだ。

この頃、経緯は忘れたのだけれど、小学校の放送部員に選出されて、給食の時間の校内放送BGMのDJを担当することになった。それまでくるみ割り人形などの当たり障りのないクラシック音楽を淡々と流すのがその学校の伝統だったのだけれど、時々悪のりして、南沙織の「17歳」をかけてみたり、テレビのスピーカーにマイクを近づけて録音した「スパイ大作戦」や「謎の円盤UFO」のテーマ音楽を流したりもしていた。当時としては大胆な路線転換だったのだと今にして思うのだけれど、不思議なことに、選曲の件で先生から小言を喰らった記憶はない。著作権なんてものがあることすら知らなかった。

それまでは人より食べるのが遅くて給食の時間が大嫌いだったのに、放送部員になったおかげで、防音完備の放送室で一人DJしながら、じっくりと給食を食べられるので、大喜びしていたものだ。下校の時間まで学校に残って「下校の時間が来ました」とアナウンスしていたのも楽しい思い出となっている。

ラジオは1950年代まではじつに高価な電化製品で、家庭の中の家族が集まる茶の間に一台きり置かれるような、一家団欒の象徴的な存在だった。真珠湾攻撃を受けて、ルーズベルト大統領が米国民に語りかけることによって、アメリカが第二次世界大戦に参戦した際の重要なメディアもラジオだったし、オーソンウェルズが1938年に臨時ニュース形式で火星人襲来を描いたラジオドラマ「宇宙戦争」では、そのあまりの迫真の演技から、本物の火星人襲来と勘違いした視聴者が全米でパニックを引き起こした。

1945年8月14日深夜11時すぎ、戦局の劣勢から無条件降伏の受け入れを決めた御前会議の決定を受けて、国民に降伏を告げる天皇の肉声をレコード盤に録音する「玉音放送」の収録作業が始まる。翌15日朝、玉音放送を実力で阻止するために陸軍幹部将校の一部がクーデターを起こし、レコード盤の奪取を試みるが失敗。正午、日本国民はラジオから流れてくる天皇の聞き取りにくい肉声によって、真意を知ることとなる。当時の時代はラジオとともにあった。メディアをコントロールする人間は、権力を握る。

ソニーがトランジスタを実用化して、持ち運びが容易なポータブルラジオを発売したのが1955年。同じ頃、白黒テレビが三種の神器の一つとして日本人の家庭の茶の間に急速に普及し始め、日本は高度成長期に突入する。ラジオは家族を結ぶコミュニケーションの場としてのメディアの中心の座を急速に追われ、パーソナルでニッチなメディアへと変貌を遂げていく。管理人がものごころついた頃は、東京オリンピックの人気でカラーテレビがそろそろ普及し始め、ラジオは茶の間からすっかり追い出されていた。

布団の中でゲルマラジオで聴いていたオールナイトニッポンなどの深夜放送は、当時の中学高校生の受験勉強に欠かすことのできない「銀河通信」の時代へと変わっていった。

それから30年。世代は交替した。子供たちよ。これはゆずり葉の木です。

YahooBBによるADSLの価格破壊のおかげで、家庭におけるインターネット常時接続が常態化してからすでに6年。YouTubeやニコニコ動画は1年ちょっとの間に若者の間に文化として定着した。携帯電話によるワンセグ視聴ももはや当たり前の機能として一人一人に普及し始めている。3年後にはテレビのアナログ地上波が停止してしまう。ラジオを茶の間の主役の座から追放したテレビはこれから先、どこへ向かうのか。

子供達がニコニコ動画にはまっていて、テレビ地上波には見向きもしない現状や、管理人自身が地上波番組のあまりの衰退ぶりに愛想を尽かしている現状を冷静に振り返ると、いくら「かぐや」が月面の画像をハイビジョンで送ってくるとしても、家庭の茶の間でハイビジョンを視聴する環境に多額の投資をしようという気分にはどうしてもなれない。投資をしても、番組を見る気にもなれなければ、番組を見る時間もない。茶の間かモバイルか。それが問題だ。

管理人自身のこのところの生活パターンを振り返ってみると、パソコンで撮り溜めたナショナルジオグラフィックやディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルの大好きな番組をじっくりと見られる時間と言えば、出張中の飛行機の機上や新幹線の車中や宿泊先のホテルの部屋くらいのものだ。地上波、特に民放の番組は、自分の脳内が破壊される気分になるので、できるだけ見ないようにしている。録画した番組は溜まっていく一方なので、どこかで見ないともったいない。じゃぁモバイルで視聴できる環境を整えよう。ワンセグケータイ? iPhone? iPod nano? MacBook Air?

と、ここまで考えて、MacBook Airを発表したスティーブ・ジョブズの頭の中がちょっと読めたような気がした。MacBook Airがなんであれだけ内蔵ディスクやインターフェースをごっそり削った仕様にしたのに、USBやMicroDVIのインターフェースをちゃんと残したのか、と言えば、人生の思い出が詰まった過去のパーソナルな写真や音楽、ビデオ、大事なファイルなどを外部記憶におさめて、必要な仕事はMacBook Airで、高精細の出力は茶の間に置いてあるディスプレイで、つまりTPOに応じたコンビネーションを楽しみなさい、ということなのか。さあ、CPUのしがらみから解き放たれてしまおう。そう考えると、iPhoneでもiPod nanoでもなく、iPod Classicが欲しくなってしまった。攻殻機動隊の外部記憶というわけだ。タチコマがジャンク屋で見つけたあれ、ですな。Googleには絶対に晒さない、プライベートな人生の記憶。

Windows Vistaが不発となって半導体市場が値崩れし、ビル・ゲイツが最後のCES講演を行い、インテルCPUのラインナップがマルチコアに突き進んでムーアの法則のパラダイムが変貌を遂げていく中で、Microsoftに哲学はあるのか? 「家族のメディア」は「個人のメディア」へと進化して、その逆の流れはあり得ないのだろう。日本の家電産業にとって、地デジの未来はどこにあるのだ?

茶の間かモバイルか?

メディアの一極集中は危険だ。権力など分散化してしまった方が平和だし安全だ。「三権」という考え方自体がすでに分散化の度合いとしては少なすぎるのではないのか。在りし日のレイ・チャールズに乾杯! Hit the road Jack!

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