文系の壁?
「理系白書ブログ」で元村有希子さんが「文系は不要?」「文系不要論」というエントリを立て続けに書いている。
管理人は「文系」「理系」という言葉がそもそも好きではない。日本の社会の中で「文系」「理系」という言葉が会話にのぼる時、あるいは新聞紙面を賑わせる時、ほとんどの場合は「言い訳」「あきらめ」「紋切り型思考」のいずれか、の、ネガティブなニュアンスや文脈の中でしか使われていないような気がする。
あと、これは管理人の思い過ごしかもしれないが、「文系」「理系」の違いにこだわることが多いのはどちらかというと自称文系人間、のような気がする。「自分は文系だから...」というセリフと、「自分は理系だから...」というセリフのどちらを耳にすることが多いだろう?
そもそも「文系」「理系」の区別、あるいは定義、って、なんなのだろうか。...と、定義からして気になってしかたがないあたりが、管理人が「理系人間」であることの証、なんだろうか? :p
「数式が苦になるか、ならないか?」「論理を大事にするか、情緒や協調性を大事にするか?」 こういう観点で人を見ると、たしかに人間は「ある集団」と「もう一つ別の集団」に分けられる...ような気がしてくる。
でも、数学が嫌いな理系だっているし、文系にだって論理が求められる分野がある。ひとくちに「理系」といっても、分野が異なれば、求められるスキルは文系と理系の壁以上に分厚い壁がある、ように思える。例えばお医者さんに求められるスキルとIT技術者に求められるスキルと旅客機のパイロットに求められるスキル。
今の日本の教育システムでは、文系と理系の区別はどうやら高校生の時に大学受験を意識したあたりから始まるようだ。端的には「数学」を受験科目として選択するか、否か。これに「物理」がセット定食のメニューとして加わることが多い。
つまり日本でいう「文系」とは、ある得意な分野を積極的に選択した結果、ではなくて、「数学」と「物理」を消極的に忌避した結果、というケースがかなり多いのではないか? とすれば、「文系と理系」の区別がネガティブな文脈で語られる機会が多い(気がする)ことにも納得がいく。
ところでコンピュータについて文系と理系のそれぞれ大学1年生に同じ内容の講義を行った経験から言えば、文系のクラスの方が学習態度もまじめで、レポートや試験の成績もよかった。
これは管理人の講義のあり方が適切でなかったせいかもしれないし、どちらかというと文系向けのテーマに偏った講義だからかもしれないし、たまたまそれぞれのクラスの個性がでただけなのかもしれないし、あるいは文系のクラスのほうが試験問題の傾向をあらかじめ先輩から入手するなど要領が良い?せいかもしれない。ので、一般化するのは危険だけれども、「コンピュータだから」といって、いわゆる文系人間の方が不得手であると決めつけるのは早計と思う。うまく好奇心を育んであげることができれば、人間はいろんなことに興味を持つ。興味を持てば、その道に長じる。と、信じたい。
と、ここまで長文をたらたらと書いてきたのを読み返してみて、我ながらやっぱ「唯我独尊(理系人間の特徴の一つとされる)」なのかな、と、思う。HotWiredにTech総研のこんな記事が載っていた。
この文章の「エンジニア」って言葉を「理系人間」で置き換えてみると、どき、管理人にも心当たりが... う〜くわばらくわばら。反省しなきゃ。「文系と理系の壁」って、その正体はこういう人間関係、なのかも。
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