サイエンスライター雑感
20日のasahi.comに「国が育てる「サイエンスライター」 文科省部会が提言」という記事が載った。これを受けていくつかのサイトで考察が進んでいる。
yosukeの日記:サイエンスライターにはサイエンスライターなりの考え方が...
yosukeの日記:Science writer.
yosukeの日記:科学ジャーナリズムの世界。
K.Moriyama's diary: 科学情報がネットにないかというと、そんなことはないし...
Slashdot Japan:y_tambe:レビュー記事不足
つらつら眺めていて、なにかまだ物足りないなぁ、なにか書こう...と考えていたら、私が感じていたそのものずばりのような考察を「K.Moriyama's diary」で見つけた。
▼いわゆる批評とかジャーナリズムというのは、とりあえず批判することだと思っている人が多いようだ。でも、本当はそうじゃないだろう。じつに同感。
▼批評とは、まず第一に、評価を与えることだ。たとえばある研究なり書籍なりがあったとする。それが、全体のなかでどういうポジションに位置するのか。そういった作業が批評の基本だ。
...略...
▼というのは、だいたいにおいてその手の批判は短期的視点に立っているものが多く、10年、30年、50年、100年くらいのスパンに立ってみた場合どうなの?という視点が抜けているからだ。
...略...
どういうわけか人間は、過去からの軸への眼差しはそれなりに持っていても、未来への軸方向へはあまり目がいかない傾向にある。
さらに踏み込むとすれば、情報の受け手の側に果たしてその情報を取り込み咀嚼する準備ができているか、という問題があるだろう。人工衛星の科学的知識がなくとも情報収集衛星の運用面を論じる政治家にはなれるというお国柄、らしいし。
少しでも高度な内容を取り上げた科学雑誌は日本では「壊滅的」と言っていいほど商売にならない。高度なサイエンスライティングを求める読者層は確かに存在する。が、その読者がお金を払ってでも記事を読みたい、と考えるか、といえば、日本の人口、所得や教育の規模と、高度に情報化・工業化された社会の規模、のわりには、理不尽、と言ってもいいほどに科学雑誌の市場が狭い。
では新聞の科学欄はどうか。最近、毎日新聞の理系白書の元村有希子記者が「理系白書ブログ」を始めたので、その動向に注目したいところではある。けれど、日本の新聞には日本の新聞なりの限界があるらしい。以下は科学欄の問題ではないのだけれど、
ネットは新聞を殺すのかblog: 毎日記者VSブロガー、険悪ムードから相互理解へ
finalventの日記:10月18日コメント欄
この中で毎日新聞の白戸圭一記者曰く。
ご承知の通り、日本の新聞はクオリティーペパーを標榜するにはあまりにチグハグな構造を持っています。世界のニュースから販売店の要請に応えた町内会の行事まで、全部を紙面に押し込めている幕の内弁当のようなものが日本の新聞です。科学部の記者は、その専門性ゆえに、社会部や外信部などよりもう少し安定した立場でいられる、と思う。しかし現実には、せっかくある分野の専門性が身に付いた、と思っても、数年後にはまったく別の分野を担当している、という例が多いように感じる。元村記者が5年後、10年後にどのような記事を書いているかに注目したい。傍観者、ではなく、この国の科学を担う当事者、に、なっていただきたい、と願う。
...略...
端的に言って日本の新聞社では、自ら「これは重大なニュースだ」と判断できる欧米のクオリティーペーパーのような地域専門家が計画的に育成されてもいません。紙面をご覧になれば分かるとおり、外信部の記者に与えられたページなど高校野球の記事以下のスペースであり、毎春、毎夏の高校野球取材に動員される記者の数(私も若いころやらされました)は、世界史に残る虐殺事件を取材する記者の何十倍にも達するわけです。
文科省の部会の「サイエンスライターを国が支援する」という提案に水を差すつもりはまったく無いのだけれど、この国のどういう読者層に「届く」ようなサイエンスライティングを目指すつもりのか、ビジョンが見えないと感じる今日この頃。
« ブラジルの人工衛星用ロケットのニュースなど | Main | 宇宙関連ニュース »
Comments
The comments to this entry are closed.
こんにちは。
サイエンスライター養成の問題については、いろいろと考えていますが、考えがうまくまとまらないのと(地震もあり)、現段階では「案」であり、論議を見守りたいという気持ちもあります。
それから、白戸記者は、同じ九州で働いていましたが、彼の指摘は正鵠を射ていて、つまり新聞がはらむ問題点は、ここに書ききれるものでもなく、ずっと考えていくものだと思います。
科学技術の「傍観者でなく当事者に」。今も、観察し批評することでは一枚も二枚も噛んではいるのですが、距離の取り方が難しいです、ほんとに。
とりとめもなく書いてしまいましたが、書かずにはいられませんでした。あしからず。また立ち寄らせていただきますね。
Posted by: 元村有希子 | 2004.10.25 10:46 PM
元村さん、こんにちは。
サイエンスライターの件はおっしゃるように、今後の推移を注意深く見守りたいですね。
ところで私も「理系白書」を買って読んでいます。この本はいい意味で、文科省の人間や政治家などに大きな影響を与えたと思いますよ。そういう意味では元村さんはすでに傍観者ではなく当事者になっています。
量子力学の基本原理に、「観測」はその観察する「対象」の「状態」を変えて(決定して)しまう、というのがあります。
日本の科学技術のあり方を「観測」している元村さんもまさにこの状態だと思います。これからも元気いっぱいでご活躍ください。
Posted by: 5thstar管理人 | 2004.10.26 08:21 AM